企業が再建のために行う「会社売却」や「事業売却(譲渡)」。会社売却は基本的に会社のすべてを第三者へ売却することを指し、事業売却(譲渡)はすべての事業もしくは一部を売買することを指し、いずれもM&Aの方法の一つです。日本企業のM&Aが増加するなか、その流れは税理士業界にも少しずつ広がってきています。
税理士事務所を経営する税理士の高齢化、後継者不足、経営難などから事業を手放そうと考えているケースは増えつつあり、その解決策としてM&Aによる事業売却(譲渡)を検討・選択する税理士が多くなっているのです。
目次
税理士事務所の売却(譲渡)が行われる背景
税理士法人や税理士事務所が事務所の売買(譲渡)を考える背景には、さまざまな要因があります。税理士業界の現状とともに、主となる要因を探っていきましょう。
現在、税理士業界では主な顧客である中小企業数が減っているにも関わらず、税理士法人や税理士事務所数が増えているという状況にあります。さらに、税理士の高齢化と同時に後継者不足も深刻な問題になっています。
「健康面で不安があるため、今のうちに引退したい」
「年齢的に事業承継したいが、跡継ぎがいない」
「採用が上手くいかず、人員不足に悩んでいる」
「安定した経営のために大手傘下に入ることを検討している」
「競合事務所の増加とともに、報酬を上げることができないことに悩んでいる」
などの課題を抱えている事務所が多いのが今の税理士業界の現状であり、事業売却(譲渡)を検討する背景となっているのです。
事業売却(譲渡)するメリット・デメリット
課題解決のために事業売却(譲渡)を行う場合、そのメリットとデメリットをしっかりと理解しておかなくてはいけません。ここでは譲渡側と譲受側双方のメリットと、実際に行う際の注意点についてまとめていきます。
メリット・譲渡側(売り手側)
譲渡側の大きなメリットは以下の3点です。
1.後継者問題の解決
2.クライアント業務の引き継ぎが可能
3.従業員の雇用維持
後継者不足で悩む税理士は多くいらっしゃいます。税理士事務所は資格保持者でないと継ぐのが難しいことから、解決策としてM&Aが注目されています。
さらに、長く税務を請け負っていたクライアントなどにも廃業で迷惑をかけることなく、譲受先に業務を引き継ぐことができます。
そして雇用主として最も心配な従業員についても、解雇の心配なく雇用確保が可能になります。もちろん、雇用維持については譲受側との話し合いが必要で、売却時の条件としてきちんと盛り込むことが大切です。
メリット・譲受側(買い手側)
事業を譲り受ける側のメリットとしては以下の点が上げられます。
1.業務拡大
2.優秀な人材の確保
3.クライアント増加による収益アップ
事業買収(譲受)によって譲り受けた拠点やサービス、ノウハウをそのまま活用できるため、新規参入に比べて業務範囲の拡大やサービスの拡充がしやすくなります。特に税理士は地域に根差して活動している場合が多く、新たな顧客確保や信頼関係の構築が難しいと言われています。そうした点でも譲受側のメリットが大きいと言えるでしょう。
さらに、経験豊富でスキルの高い即戦力となる人員はなかなか定着しづらいもの。M&Aでは優秀な人材を即座に確保できるのも、大変重要なメリットです。
そして、譲渡側のクライアントをそのまま引き継ぐことで収益アップにつながるでしょう。新規開拓するよりもはるかにコストや労力は少なくすむはずです。
事業売却(譲渡)を行う際に注意すべき点
事業売却(譲渡)には、もちろん注意しなくてはならない点もいくつかあります。
まず大切なのは、早めに準備を始めること。
事業売却(譲渡)は思ったよりも時間がかかるものです。
さまざまな手順を踏むのに数カ月はかかるため、早い段階から事業売却・買収について検討し、用意しておきましょう。
また、売却(譲渡)を進めている間に顧客が離れていかないような施策も必要です。信頼関係を大切にする税理士業界では、事務所の売却などの動きで不安を感じ、顧客側が契約解除を申し出るということもあります。そうなると事業売却(譲渡)の条件も変化してしまうため、現在抱えている顧客へのケアをしっかりと行っておく必要があるでしょう。
事業売却(譲渡)の流れ
事業売却(譲渡)には早めの準備が大切ということはお話ししました。しかし、ほとんどの方はいざ事業売却(譲渡)をしようとしても、何からはじめたらいいのか、相談できる先はないのかなど、悩んでいるのではないでしょうか。
そこで今回は、M&Aを専門に扱う仲介会社を介した事業売却(譲渡)の流れについてご説明していきましょう。
1.事前準備
事務売却(譲渡)を検討し始めたら、早めに事前準備をというお話しをしました。さらに円滑に進めるために、専門の仲介会社やアドバイザーなど、M&Aの専門家に相談してみましょう。また、以下のように事業売却(譲渡)に必要となる資料を先に準備しておくことをおすすめします。
・会社案内・サービス紹介
・就業規則
・税理士・公認会計士の人数や経歴が分かる資料
・事務所全体のスタッフ数や業務内容が分かる資料
・クライアント一覧
・直近3期分の決算書
・税務関連書類
・固定資産台帳
・給与台帳
2.仲介会社へ相談・業務契約締結
仲介会社やアドバイザーに相談し依頼を決めたら、仲介業務契約を結びます。この契約には今後行う交渉内容について、譲渡先候補や第三者に口外しないという「秘密保持契約」などがあります。
3.譲渡先の選定
事務所を売却(譲渡)する候補を選定していきます。目的や希望内容に合わせて仲介会社にリストアップしてもらったなかから、売却(譲渡)する相手を決めることが一番大切な作業です。
4.譲渡先との交渉
条件の合う譲渡相手を見つけたら、交渉に入ります。一般的に初回の交渉では、自身の事務所のさらに詳しい情報を明示し、相手の条件とのすり合わせを行っていきます。売却(譲渡)金額はもちろん、買収の目的や従業員の扱い、経営理念、クライアントの取り扱いに関してなど、多方面を確認しておく必要があります。加えて譲受側が信頼関係を築ける相手かどうか、価値観が合うかなどもチェックしましょう。
5.基本合意書の締結
売却(譲渡)側と譲受側の条件をすり合わせ、合致に至ったら基本合意書の締結を互いに書面で提出します。
6.デューデリジェンス
基本合意書の締結後に行うのが「デューデリジェンス(DD)」です。これは買収する企業の価値やリスクを譲受側が調査することで、実際の財務状況や買収にあたってのリスクなどを調べるほか、登記事項など法的なことも確認します。基本的に行われるのは「財務デューデリジェンス」「税務デューデリジェンス」「事業デューデリジェンス」の3つです。
7.売却(譲渡)価格の交渉
デューデリジェンス実施後、さらに具体的な売却(譲渡)金額の交渉を行い、最終的な金額を決めていきます。相場とあまりに違う金額になっていないかなどをメインに、従業員への待遇やクライアント・システムの引き継ぎ、買収金額の支払方法や期日などを確認します。
8.最終契約・買収金額の支払い
価格やその他の詳細な交渉が終わったら、最終契約です。その契約後に買収金額が支払われます。
9.資産の移転・クロージング
買収金額の入金を確認したら、資産の移転を行います。これで基本的に譲渡実施完了です。
10.PMI
売却(譲渡)完了後は、その効果をさらに引き出すためのPMIを行います。PMIは「Post Merger Integration」の略で、行うのは譲渡側です。売却(譲渡)後に想定していた効果が出ているかを確認します。
事業売却(譲渡)の成功例
ここで事業売却(譲渡)に成功した実例をいくつかご紹介します。事業売却(譲渡)を決めた要因や進め方はさまざまですが、実例のなかに成功へと繋がったヒントが見つかるはずです。
実例1:引退時期を決めていたものの後継者不在。
事業売却(譲渡)を決めたO税理士
事務所経営は安定していたものの、もともと65歳でリタイアを考えていたO先生。しかし身内には後継者候補がおらず、雇用している3名の従業員やクライアントの引き継ぎ先に悩んでいました。そこで税理士事務所M&Aの仲介を通して事業売却(譲渡)を検討。事業拡大を考えているK税理士事務所を紹介されました。
O先生が譲れなかった条件は、従業員の待遇や顧問先への対応を同じように維持してくれる譲受先ということ。地域に根差した事業経営を目指すK税理士事務所と考え方が一致し、事業売却(譲渡)はスムーズに進めることができました。
引退時期を決めていたため、早くから事業売却(譲渡)の準備を整えられたこと、そして専門家のリサーチによって条件に合う売却(譲渡)先を見つけられたことが成功の秘訣と言えるでしょう。
実例2:10年後に引退予定で進めていたものの、
後継者候補が突然の辞職で事業売却(譲渡)を決意
5年後に70歳を迎えたら引退しようと、後継者の育成を行っていたS先生。しかし、後継者候補の従業員が突然辞職してしまい、今後どう経営していくべきか検討していました。他にも優秀な候補者はいましたがまだ資格を取得しておらず、5年後には間に合いそうもなかったそうです。
そこで税理士事務所M&Aの仲介を通して、優秀な従業員を求めている税理士法人を探してもらいました。候補として紹介されたM税理士事務所は新たな支店のために幹部候補を求めており、そのために事業買収も検討していた事務所で、さらに譲り受ける事務所の所長のサポートも一定期間必要としていたそうです。
引退までの5年間は人材育成や経営のサポートとして譲受側の事務所に席を用意してもらったS先生。もともといた従業員の雇用維持も叶い、事業売却(譲渡)を見事に成功させました。
意外な盲点!事業売却(譲渡)の際の税金にも注意
事業売却(譲渡)を行うと、譲渡側と譲受側の両方に税金がかかるので、注意が必要です。
事業売却などで利益が出た場合、譲渡側には法人税(個人の場合は譲渡所得税)がかかります。さらに資産の譲渡については消費税もかかるため、これは売却金額に追加して譲受側に請求しなくてはなりません。
譲受側には購入したなかで消費税がかかるものがあるため、事前に確認が必要です。一般的には課税取引となる設備や車などの売買が該当します。また、買収した資産(負債も含む)の評価額と買収額に差がある場合、差額を調整勘定し定額償却(損金算入)する必要があります。さらに不動産取得税や登録免許税なども負担する場合があります。
事業売却(譲渡)とM&Aの違いは何?
事業売却(譲渡)はM&Aの手法の一つです。M&Aとは株式譲渡と事業譲渡、さらに合併も含めた「Mergers(合併)and Acquisitions(買収)」の総称です。
一般的に中小企業のM&Aでは株式譲渡が多くなりますが、個人事務所の多い税理士業界ではすべての事業もしくは一部を売買する事業売却(譲渡)が多く行われます。
・事業譲渡は、譲渡企業が所有する一部もしくは全部の事業を譲渡すること。
・株式譲渡は、譲渡企業の株式のうち一定割合を譲渡すること。
事業売却(譲渡)に関するよくある質問
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事務所の売却(譲渡)を検討しているが売れる?
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「事業売却(譲渡)を検討しているが、本当に買い手が現れるのか」という不安を抱える税理士の先生方も多いようです。自身の事務所というとどうしても評価を下げがちですが、事業拡大や人員確保を目指す事務所にとっても事業売却(譲渡)は求めている機会。譲受先を探すネットワークがあれば、必ず希望に合う相手は現れるでしょう。
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事業売却したいけど何から始めればいい?
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事業売却(譲渡)だけでなく、M&Aにはいくつかの手法があります。そして進め方もそれぞれの条件で異なるため、自分たちだけで進めるのはかなり困難です。専門的な知識と経験、人脈を持つ専門家に依頼し、アドバイスをもらいながら行うのが一番スムーズに進められるのではないでしょうか。
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事業売却で困ったときの相談先は?
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事業売却(譲渡)をするうえで譲れない条件をまとめておく必要があります。さらに、従業員やクライアントを任せる場合、経営方針や価値観、考え方に共通点があることも重要です。
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交渉・契約などの進め方に不安がある
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譲渡側と譲受側で直接交渉を行うこともありますが、トラブルを避けるには仲介者を挟むとよいでしょう。M&Aに関する知識を十分に持つ人が間に入ってくれれば円滑に進み、後々のトラブルも少なく、まとまる確率は高くなります。
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事業承継を行うための準備とは?
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事前に事業売却(譲渡)の準備を進めるために準備するのは大変重要です。事業整理や従業員・顧客のケアについてなどに加え、事業整理なども必要に応じて検討・実施しておきましょう。
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事務所の価値・評価を知りたい
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実際に事業売却(譲渡)の話が進めば、譲受側がデューデリジェンス(DD)を行うのが一般的ですが、その前に事務所の価値を知りたい場合は評価方法を探して算出することになります。この点についても専門家の助けがあるとわかりやすく、交渉の際にも活用できるでしょう。
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契約書の作成がわからない
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事業売却(譲渡)に必要な書類は秘密保持契約書や基本合意書、最終契約書などです。複雑な作業もあるため、十分に注意が必要になります。ここでも専門家がいれば助けになってくれるでしょう。
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自社に適したM&A手法がわからない
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自分たちに合う手法を探したいが、よくわからないし時間もないという場合こそ、専門家にアドバイスを求めるべきです。自分たちで悩み続けるよりも、意外な解決方法や譲受先の紹介が期待できます。
まとめ
今後の税理士業界では、後継者不足や人材確保の難しさ、社会的な変化から、さらに事業売却(譲渡)を考える事務所が増えていくと予想されます。譲渡側にも譲受側にもメリットの多い事業売却(譲渡)についての知識は、まだ事業売却(譲渡)を考えていない税理士の先生方であっても、今後必須になっていくはずです。